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zoom RSS 書評:まともな男になりたい

<<   作成日時 : 2007/01/26 12:52   >>

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【Executive Summary】 まともとはなんぞや?
筆者は河合塾講師で1959年生まれ、2007年の今年は年男にあたる。本書は筆者が不惑になった頃に書かれたものらしいが、不惑の決意をつらつらと述べたものとなっている。筆者は「まとも」な男になりたいというが、その目指すところは、「教養」と「平衡感覚」を備えた人物ということだ。筆者の考える条件が本書で明らかにされている。

【Points to Note】 
「まとも」とは、ひとことでいえば「宿命を自覚して生きる」ということだ。(中略)別言すれば、人生には「ままになること」と「ままにならないこと」があると自覚し、分限をわきまえて懸命に生き尽くすことだ。分限とは、福沢諭吉によれば「天の道理に基づき人の情に従い、他人の妨げをなさずして我一身の自由を達すること(学問のすすめ)pp.42-43.

(教養とは)己れの能力や才能を見いだして、それを社会の一端とつなげてゆく、そういった「自己を習い知るための力」p.91 教養とは己れを明確にしていく自助の構えであるいっぽう、他人の気持ちを思いやろうとする心の態度でもある。p.94 

恥を知る心があること、何を恥ずかしいと感じるかということ、そうした美意識が人間の誇りや矜持を育み、人生の要所要所で決断の契機となっているのである。p.126独立自尊と羞恥心、矜持

「ほどほどに足るを知る」とは、極端に陥らない、節度ある中庸の態度なのである。p.173

あきらめるとは、自分自身に与えられたものに気づくことであり、人生の宿命を見つめることであり、そうであるがゆえに、人生を明らかにすることであり、自分の能力と資質を生かすことであり、人生をより鋭角的にいきることである、と悟るのである。p.176

私たちは自己の宿命のうちにあるという自覚においてのみ、はじめて自由感の溌剌さを味わえるのだ。(福田恒存 人間・この劇的なるもの)p.201

平衡感覚はつまるところ、あらゆる運動の否定であり抑制である。自分自身たらしめる特殊性も異常も、すべてはこれによってにべもなく抹殺される。(福田恒存 人間・この劇的なるもの)p.214

福田恒存のいう平衡感覚とは、極端を目の端で意識しながら、よりよきものを求める節度ある生き方であり、過激を排除して妥当性を獲得しようとする中庸感覚のことである。つまり、折衷主義に陥らぬ節度であり、急進主義をしりぞけようとする斬新なのである。p.215

「平衡感覚」とは「教養をもった人だけが保持しうる「調和の美しさ」なのだ。p.216

【コメント】 身体と精神のバランスのとれた教養を持つべし
本文は砕けた内容もあり、引用も多く、筆者が本当に感じている部分はどこなのかあいまいではあるが、小一時間くらいで読む積もりで読むなら、そして、自分はどうなのかと対比させる対象がほしいなら、一読するのも良いだろう。

オススメ度 ★★★☆☆ 

まともな男になりたい
まともな男になりたい (ちくま新書)

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